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江戸更紗は、東京の水辺に集まった染色の街から見えてくる。主な製造地には新宿区、豊島区、荒川区などが挙げられ、神田川と妙正寺川の流域には昭和初期から昭和三十年代まで三百軒を超える染色関連業が集まっていた。綿織物や絹織物、柿渋で手漉和紙を貼り合わせた型紙、刷毛で染料を摺り込む手仕事、そして落合・中井周辺の工房が、江戸更紗の輪郭をつくっている。
江戸更紗の東京での広がりは、新宿区、豊島区、荒川区などの製造地から始まる。神田川と妙正寺川の流域には、昭和初期から昭和三十年代まで三百軒を超える染色関連業が集まり、反物、型紙、刷毛、工房が近い距離で動いていた。落合・中井の界隈には、いまも染色技術を受け継ぎ、新しい表現を試みる職人や作家が集まる。中井駅周辺の染の小道では、妙正寺川の川面に反物を張り、商店街の軒先に作家制作ののれんを掲げ、工房の中にある染めの仕事を川と街路へ広げている。
更紗文様はインドに始まり、アジアやヨーロッパへ広がり、日本には十四世紀から十六世紀頃、または室町時代に伝わったとされる。江戸更紗は、その鮮やかな文様を日本の型染めに取り入れ、一枚の布に多色の柄を重ねていく。遠い土地を移動した文様は、東京の染色工房で型紙を重ねる順序、刷毛を動かす向き、染料を布へ摺り込む力加減として受け直され、江戸更紗の色と奥行きになる。
江戸更紗で伝統的に使われてきた素材は、綿織物と絹織物である。型紙は柿渋を使って手漉和紙を貼り合わせた地紙、または同等の地紙を用い、型摺り染めは手作業で行う。地染めは引き染め、捺染糊はもち米粉に米ぬかや食塩などを混ぜたものとされている。型紙は何度もの摺りに耐え、米の糊は文様の位置を保ち、刷毛は染料を綿や絹の繊維へ入れていく。江戸更紗の表情は、布、紙、糊、手の接点から立ち上がる。
江戸更紗の細かさは、型紙の枚数にも表れる。少ない柄でも二十枚ほど、多い柄では九十枚ほどの型を繰り返し、淡い同色系のグラデーションを布の上に重ねていく。職人は刷毛で染料を生地に摺り込み、刷毛の当て具合を調整する。陰影、ぼかし、わずかな濃淡は、型紙の重なり、手作業の摺り、刷毛の加減の中で少しずつ現れる。
江戸更紗の落ち着いた色合いは、染色の条件とも結びついている。神田川をはじめとする東京の水は硬水で、水中の鉄分が染め上げる過程で反応し、渋味を帯びた色を引き出すとされている。新宿や落合周辺の工房、東京の水に含まれる鉄分、刷毛の摺りがつくる陰影が重なり、原色を基調とする海外の更紗とは違う江戸更紗の表情につながっている。
現在の江戸更紗は、身につける布や空間の中にも見られる。ストールをはじめとする服飾品、パーテーションなどのインテリアへの展開があり、染の里おちあいではモノトーン更紗チュニックシャツや江戸更紗トートバッグも見られる。東京都染色工業協同組合の小紋会は、東京染小紋、江戸更紗、誂染めなどの型染を主に扱う部門であり、江戸更紗を担う染色のまとまりを示している。染の里おちあいは一九二〇年から百年余り江戸更紗を染め続け、高市洋子が二〇二〇年に新たな組織を立ち上げ、四代続いた江戸小紋・江戸更紗の流れを守っている。中井の川面に張られた反物や店先ののれんは、文様を日常の街並みへ運んでいる。
江戸更紗は、東京の染めの街で重ねられる工程から理解したい。綿と絹が文様を受け止め、柿渋の型紙が輪郭を決め、米の糊と引き染めが工程を支え、刷毛の力加減がグラデーション、陰影、ぼかしを生む。神田川、妙正寺川、落合、中井へと続く場所の中で、江戸更紗は日本に伝わった更紗文様を、工房、街路、服飾、室内空間に残る東京の布へ変えている。
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英語では Edo sarasa と表記されます。
天然素材の染織品は、はじめのうち多少色落ちします。中性洗剤で単独手洗いし、長時間のつけ置きと漂白は避け、色あせを防ぐため陰干ししてください。絹・麻や伝統的な染めのものはドライクリーニングが必要な場合が多く、商品ページの洗濯表示が優先されます。
江戸更紗は東京都の染織・布ものです。公的な登録、地域の資料、楽天の販売中商品と照合し、産地との関わりや特徴を整理しています。
多くは常温で日もちし、箱入りで持ち運びに強く、贈りものや持ち帰りに向いています。最終的な保存・配送条件は楽天の商品ページでご確認ください。
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