日本の焼き物の選び方:陶器と磁器、焼き締めと絵付け、そして各地の窯
まず陶器か磁器か、次に焼き締め・釉・絵付け。備前や信楽は無釉、波佐見や九谷は磁器、萩は茶がしみて色が変わります。
まず陶器か磁器か、それから産地
日本では焼いた器をまとめて焼き物と呼びます。器を見るとき最初に決めたいのは、陶器か磁器かです。陶器は陶土で成形し、素地は光を通さず少し水を吸い、厚手で手に温かく、作り手は「土もの」と呼びます。磁器は陶石を砕いた粉で素地を作り、焼くと白く硬く水を吸わず、薄く作れて弾くと澄んだ音がするので「石もの」と呼ばれます。
その中間に半磁器があります。四日市萬古焼は陶器と磁器の中間的な半磁器に分類され、直火や空焚きに耐えるため土鍋が主力です。唐津焼は粗い土を使う典型的な「土もの」で、茶陶と日用の器の両方を作ります。九谷焼の始まりは、大聖寺藩領内で磁器の原料となる陶石が見つかったことです。1655年には九谷焼が存在していました。
陶器か磁器かが分かったら、次に表面の仕上げ、最後に産地を見ます。以下はその順で整理します。
陶器の表面は三つ:焼き締め、釉、化粧土
陶器の表面はおおよそ三種類です。焼き締めは釉薬をかけずに高温で焼くもので、薪の灰が器に降りかかって自然釉になり、火と灰の残す色や斑は一点ごとに違います。備前焼と信楽焼が代表で、次の節で触れます。
釉薬をかけた陶器では、釉の原料が色を決めます。灰釉は青みや黄みを帯び、鉄釉は黒、褐色、飴色になり、長石を主とする釉は志野のやわらかな白になり、銅が加われば織部の緑になります。美濃焼の十五の伝統的工芸品の種類は釉の目録のようで、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒、灰釉、天目、鉄釉、飴釉、粉引が並びます。
三つ目が化粧土です。濃い色の素地に白い泥をかけて模様をつけ、透明釉をかけます。小石原焼は近隣の山の赤土に白い化粧土をかけ、轆轤を回しながら飛び鉋、刷毛目、櫛目、指描、流し掛け、打掛けで規則的な模様を残します。唐津焼の粉引は褐色の素地に白泥をかけ、灰釉で焼き上げたものです。
絵付け:鉄絵、染付、上絵
絵付けは釉の下に描くか上に描くかで二つに分かれます。下絵は釉をかける前の素地に描き、透明釉をかけて一度の高温焼成で仕上げるため、使える顔料は高温に耐える少数に限られます。鉄なら褐色から黒、コバルト(呉須)なら青で、後者が染付です。絵唐津は鬼板と呼ばれる鉄溶液で絵を描いてから釉薬をかけて焼き、瀬戸染付は水墨画のような筆致と青い色合いで知られています。染付は磁器で最もよく見られ、波佐見焼の国内向け日用食器であるくらわんか茶碗はその一例です。
上絵は焼き上がった釉の上に彩料で描き、低い温度でもう一度焼きます。高温では飛んでしまう赤や金彩が使えるのはそのためです。九谷焼は緑、黄、紫、紺青、赤の五彩で見分けられ、加賀市九谷焼美術館は青手、色絵・五彩手、赤絵・赤絵金襴手の三つに分けて展示しています。古九谷の窯は五十から六十年ほど活動して途絶え、約百年後の江戸時代後期に吉田屋、宮本屋、松山などの再興窯が現れました。
六古窯:釉をかけない火と灰
瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前は日本六古窯と並び称され、焼き締めの本場です。備前焼は釉薬も絵付けもせず、松割木で七日から十昼夜焼き、胡麻、桟切、緋襷、牡丹餅の表情は灰、炭、藁、窯詰めの位置から生まれます。信楽の土は耐火性があって粗く、木節粘土を合わせると大物や肉厚の器に向き、焼くと白味のある土に緋色が現れ、薪の灰が焦げと青緑の自然釉を残します。
越前焼は平安末期に常滑の窯の技術を取り入れて始まり、鉄分の多い土は赤黒や赤褐色に焼き上がり、水漏れしにくいほど締まります。古い越前は壺、甕、すり鉢が中心でした。常滑では平安末期に知多半島の丘陵地へ穴窯が広がり、中世の大甕は船で各地へ運ばれました。今の看板は朱泥の急須で、赤は陶土の鉄分の発色によるもので、無釉の品は焼成の前後に磨いて艶を出します。
丹波焼の始まりは平安末から鎌倉初めとされ、江戸初期以降は斜面に焼成室を連ねた登り窯を用い、成形には立杭独特の左回転の蹴ロクロを使います。瀬戸は木節粘土と蛙目粘土を軸に、食卓用品や置物から電磁器、ファインセラミックスまで手がけ、歴史は約千年と説明されています。
西日本:茶碗の窯と磁器の窯
萩焼の始まりは1604年、毛利輝元の萩入府に伴い、朝鮮の陶工である李勺光・李敬兄弟が窯を開いたことにさかのぼります。登り窯で低火度・長時間焼いた土はやわらかく水を吸い、茶が釉の貫入からしみて色とつやが変わります。茶人はこれを「萩の七化け」と呼びます。茶碗には高台の一部を切った切り高台・割り高台が多く見られます。
唐津焼の始まりは1580年代ごろの岸岳城周辺とされます。斑唐津の白濁した藁灰釉は、素地の鉄分や松灰によって青や黒の斑点を出します。器は唐津港から京都、大阪へ広がり、「からつもの」という呼び方と結びつきました。明治以降に庇護を失って衰退した後、中里無庵が古唐津の技法を復活させ、現在の唐津市内には約70軒の窯元があります。
磁器の窯が波佐見焼です。焼き物づくりは1580年ごろに始まり、1610年ごろに朝鮮から渡った陶工と技術によって白磁、染付、青磁が焼かれ、1630年ごろから磁器生産が本格化しました。酒や醤油を入れて輸出したコンプラ瓶と国内向けの飯碗は、ここが日用食器の産地として続いてきたことを示します。小石原焼は1682年ごろに始まり、共同窯で大甕やすり鉢を焼く時代から、個人の窯元が飯碗、湯飲み、そば猪口を作る時代へ移り、現在は50軒以上の窯元が集まっています。
日常の食卓の産地:美濃、萬古、益子
美濃焼は岐阜県東濃地方の陶磁器で、特徴は多様さにあります。土岐市の美濃焼伝統産業会館は千有余年の歴史と十五の伝統的工芸品の種類を示し、下石の窯元は機械化が難しい鋳込成型を得意とし、滝呂は洋食器・和食器の白生地、コーヒー碗皿、マグカップ、タイルを作ります。
四日市萬古焼の名は、江戸時代中期に桑名の商人・沼波弄山が現在の朝日町で茶器を焼き、「萬古不易」の印を押したことに由来します。鉄分の多い地元の赤土を釉薬をかけずに高温で焼き締めた紫泥急須が象徴で、食器の多くは約1150〜1200度で焼かれ、石灰釉の系統が使われます。
益子焼の粘土は珪酸と鉄分を含み、他の材料を加えないため器は厚みと重みを帯びます。1853年に大塚啓三郎が現在の益子町根古屋に窯を築き、昭和期には濱田庄司が花器や食器を作り、日用の器としての姿を定めました。益子町には窯元や陶器店が約160軒あり、春と秋の陶器市は1966年から続いています。
選び方と、注文前の確認
まず用途から考えます。火にかける鍋は直火対応と明記された半磁器を選び、四日市萬古焼の土鍋は直火や空焚きに耐えます。急須なら常滑の朱泥か萬古の紫泥で、どちらも鉄分を含む土を無釉で焼き締めたものです。抹茶碗に萩焼を選ぶなら、水を吸い茶で色が変わることを承知のうえで選びます。それがこの器の値打ちです。食洗機と電子レンジに入れる飯碗や皿は金彩のない磁器が無難で、九谷焼の赤絵金襴手のような金彩のある上絵は電子レンジに向きません。
商品ページでは四つを見ます。まず陶器・磁器・半磁器の表記と、直火、電子レンジ、食洗機の可否です。次に寸法と容量で、急須はミリリットル、皿は直径、益子焼のような厚手の器は重さを見ます。三つ目は窯元や作家の名前で、美濃焼や波佐見焼といった名称は産地の地域団体商標なので、窯元名が書かれたページのほうが産地名だけより確かです。最後に包装と配送で、贈り物なら木箱や化粧箱の有無を、割れ物なので配送方法を確認します。
焼き締めや灰釉の器はもともと一点ごとに違います。備前焼の胡麻や緋襷は灰、藁、窯詰めの位置から生まれるので、写真は目安と考えます。以下の一覧には、カタログにある焼き物の産地をすべて載せています。
品類と価格帯で自動的に選んでいます。個包装・数・賞味期限は楽天の商品ページでご確認ください。
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よくある質問
陶器と磁器はどう見分けますか?
陶器は陶土で作り、光を通さず少し水を吸い、厚手で手に温かく、備前焼、信楽焼、萩焼がそうです。磁器は陶石の粉で素地を作り、白く硬く水を吸わず、薄く作れて弾くと澄んだ音がし、波佐見焼や九谷焼がそうです。四日市萬古焼はその中間の半磁器です。
六古窯はどこですか?
瀬戸、常滑、信楽、越前、丹波、備前です。焼き締めの本場で、備前焼は釉薬も絵付けもせず松割木で七日から十昼夜焼き、信楽焼は緋色と薪の灰による青緑の自然釉が現れ、常滑は鉄分を含む土から朱泥の急須を焼きます。
萩焼はなぜ色が変わるのですか?
萩焼は登り窯で低火度・長時間焼くため、土がやわらかく水を吸います。茶が釉の貫入からしみ込み、色合いとつやが少しずつ変わるのを、茶人は「萩の七化け」と呼びます。使ったら洗ってしっかり乾かしてからしまいます。
直火や電子レンジに使える焼き物はどれですか?
火にかけるなら直火対応と明記された器を選びます。四日市萬古焼の半磁器の土鍋は直火や空焚きに耐えます。電子レンジと食洗機は金彩のない磁器が無難で、九谷焼の赤絵金襴手のような金彩の上絵は避けます。焼き締めや萩焼のような水を吸う陶器は、使用後にしっかり乾かします。