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丹波立杭焼の中心は、兵庫県丹波篠山市今田町上立杭周辺の窯場である。立杭は旧丹波の西南端に近く、播磨、摂津との境にあたる地域にあり、周辺では約六十の窯元が作陶を続けている。丹波焼、立杭焼とも呼ばれてきた器の名は、斜面の窯場、共同で土を整える産地、そして壺、甕、擂鉢から茶器、皿、鉢、花器へ続く暮らしの陶器を指している。
立杭は兵庫県中東部、旧丹波国の西南端に近く、播磨と摂津に接する地域にある。組合事務所は丹波篠山市今田町上立杭の丹波伝統工芸公園「立杭陶の郷」に置かれている。地名が器に結びつくのは、約六十の窯元がこの一帯で仕事を続け、現在の組合員も今田地区を中心に、陶土づくり、釉薬材料の手配、作品展示、陶芸教室、陶器まつりを同じ産地の中で動かしているからである。
初期の丹波焼は主に穴窯で焼かれ、壺や甕などの大きな容器、擂鉢や捏鉢のような食にかかわる道具が作られていた。これらの器は、丹波立杭焼を台所、貯蔵、家の仕事の中に置いて見る手がかりになる。紐状の土を積み上げ、ものを入れ、擂り、保存する器として生まれた流れは、のちの湯呑、皿、鉢、徳利、花瓶、壺にも残っている。
江戸時代初期以降、産地では穴窯から、斜面を利用した登窯へと焼成の中心が移っていった。登窯は複数の焼成室を連ね、焚き口から入った火が斜面に沿って上へ抜ける構造を持つ。穴窯より火の通りがよく、焼成時間も短くなるため、茶器、碗、小壺、油壺、塩壺など器種の広がりを支えた。立杭では現在も登窯の知識が大切な技術として受け継がれている。
丹波立杭焼の成形を具体的に示す動作が、立杭独特の左回転の蹴ロクロである。陶工は足でロクロを回し、手で土の壁を引き上げ、口を締め、形を整える。器の輪郭は、足元の回転、湿った土、手の圧力が合わさって生まれる。湯呑、碗、鉢、茶器の丸みには、その身体のリズムが残る。
丹波立杭焼の表情は、土、火、釉薬、表面の加飾によって形づくられる。灰釉、赤土部釉、鉄釉、白釉が時代ごとに用いられ、釘彫、葉文、印花、流釉、筒描、墨流しといった方法も見られる。灰釉や鉄釉は湯呑、皿、鉢、徳利、花器に素朴で土味のある色を与え、葉文や印花は、触れられる器面に作り手の手跡を残す。
江戸時代には茶の場面と結びつき、茶碗、茶入、水指、建水などが丹波焼の器種に加わった。その後、さまざまな徳利、白釉の器、大きな酒や醤油の容器、産業用の陶器も作られ、戦後には手仕事による日用の器へ重心が移っていく。現在の丹波立杭焼には、茶器、酒器、飯碗、鉢、皿、マグ、花器、植木鉢、置物があり、飲む、食べる、花を生ける、しまうという暮らしの動作の中で続いている。
丹波立杭陶磁器協同組合は、産地の仕事を実務でつないでいる。坏土工場で陶土を共同生産して組合員に供給し、陶土や釉薬材料を共同購入する。陶の郷では作品展示や陶芸教室を行い、陶器まつり、研修、後継者育成にも取り組む。産地の継続は、土、材料、教室、展示、研修、そして今田地区で働く約五十人の組合員によって支えられている。
丹波立杭焼の輪郭は、立杭という場所、斜面に築かれた登窯、左回転の蹴ロクロ、共同で整えられる陶土、そして使うための器にある。穴窯の壺、甕、擂鉢から、茶席の水指や茶碗、食卓の皿や鉢、酒器、花器、植木鉢へ。土、火、足の動き、手の圧力、暮らしの用途が、同じ産地の中でつながっている。
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この一品が、日本のどの制度・機関に登録・指定・認定されているかを示します。
英語では Tamba Tachikui ware と表記されます。
吸水性のある陶器は、はじめに「目止め」をしておくと安心です。米のとぎ汁(または少量の小麦粉を溶いた水)で弱火で煮てから冷まし、洗って陰干しすると、匂い移りや染みが出にくくなります。磁器は通常、洗うだけで使えます。商品ページに別の記載がある場合はそちらに従ってください。
手づくりの陶器、金彩・銀彩のうつわ、漆器は、食洗機・電子レンジ・食器乾燥機に適さないものが一般的です。耐熱磁器は使える場合が多くあります。個々の可否は楽天の商品ページの表示をご確認ください。
丹波立杭焼は兵庫県のうつわです。公的な登録、地域の資料、楽天の販売中商品と照合し、産地との関わりや特徴を整理しています。
多くは常温で日もちし、箱入りで持ち運びに強く、贈りものや持ち帰りに向いています。最終的な保存・配送条件は楽天の商品ページでご確認ください。
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