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山口県の赤間硯は、地名と石の色が重なる硯である。産地は宇部市や下関市周辺にあり、名は下関市の古称である赤間関につながる。材料となる赤間石は、石英や鉄分を多く含む赤みのある頁岩で、緻密な石質によって固形墨を細かくおろし、発色のよい伸びやかな墨を生む。
赤間硯の名には、下関市の古称である赤間関が残っている。古い流れは十二世紀末ごろの奉納の話に結びつき、江戸時代初期には「赤間硯」という名が使われていた。十八世紀以降、採石の中心は宇部市へ移り、宇部市と下関市周辺が産地として続いている。現在の職人のまとまりは、宇部市北部の万倉・岩滝地区にある山口県赤間硯生産協同組合にも見える。地名、山、坑道、職人の名前が、赤間硯という一つの呼び名を支えている。
赤間石は赤みを帯びた頁岩で、宇部市の説明では石英と鉄分を多く含む石とされる。硬く緻密でありながら粘りがあり、細工しやすい性質を持ち、表面には生き物の眼のような石眼や、場所ごとに異なる色合いが出ることがある。硯に向く理由は、見た目の美しさだけに置かれない。切る、平らにする、彫る、磨くという仕事に耐え、固形墨と水が何度も触れる面になることが、赤間石の大切な役割である。
赤間石は山に掘った採石用の坑道から取り出される。原石は乾燥に弱いため、普段の坑道は水で満たされ、採石の前にポンプで水を汲み出してから入る。人がかがんで進むほどの狭い通路を、五メートルから四十メートルほど進むと赤間石の層に当たる。火薬やピックハンマーなどで掘り出した原石は、金づちで軽くたたき、その音によって硯石に使えるかを選び分ける。水、深さ、石層、音を読む手が、硯づくりの入口になる。
選ばれた石は、作る硯の形に合わせてダイヤモンドカッター、小型ののみ、ハンマーなどで大まかに整えられる。地切りでは、水と珪砂を研磨剤にして表と裏を平らに近づける。縁立てでは、墨をする陸と、墨がたまる海の位置に合わせ、のみで境目を彫って縁を立てる。その後も彫刻、磨き、墨をする面の調整、薄い漆やカシューによる仕上げが続く。採石から完成まで十数工程に及び、一人の職人が山の仕事から硯づくりまで手がけることも、赤間硯の大きな特徴である。
赤間硯の使い心地は、赤間石の細かく緻密な面にある。水を置いた陸で固形墨をすれば、墨の粒子が細かくなり、発色のよい伸びやかな墨汁が得られる。海はその墨を受け止め、筆が入る前の濃さを整える場所になる。石眼や赤紫の色、彫りの輪郭も目に残るが、手に伝わる中心は、石の面、墨、水、筆が繰り返し出会うところにある。
筆と墨に頼った時代、硯は欠かせない文房具であり、江戸時代には赤間、現在の下関市や、厚狭、現在の山陽小野田市周辺で多く作られた。生活の近代化が進むと、硯制作者は急速に少なくなった。下関の堀尾信夫は堀尾卓司の技術を受け継ぎ、後継者の養成にも取り組む人物として語られ、宇部市万倉・岩滝地区の組合は職人のまとまりを今に示している。1976年には国の伝統的工芸品に選ばれた。その「伝統」は、宇部と下関の赤間石、採石、陸と海を彫る工程、磨き、次の職人を育てる仕事に結びついている。
赤間硯の長さは、古さを語る言葉だけではなく、手順の中に残っている。宇部の坑道から水を抜き、赤い頁岩を音で選び、水と珪砂で平らにし、陸と海を彫り分け、固形墨を細かくおろす。名には下関の赤間関が残り、宇部の山と職人の手が、いまも一面の硯に重さを与えている。
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英語では Akama inkstones と表記されます。
工芸品は直射日光・湿気・急な温度変化を避け、ぶつからないように保管してください。木・竹・漆・紙は水に弱いため、濡れたらすぐに拭き取ります。個別のお手入れは商品ページの表示をご確認ください。
赤間硯は山口県の工芸品です。公的な登録、地域の資料、楽天の販売中商品と照合し、産地との関わりや特徴を整理しています。
多くは常温で日もちし、箱入りで持ち運びに強く、贈りものや持ち帰りに向いています。最終的な保存・配送条件は楽天の商品ページでご確認ください。
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